フィジカルなもの

Ryoji Ikedaという人の「Supercodex」というアルバムとたまたま音楽アプリで出くわす。
音楽にはあまり明るく無い自分にとっては、なんか物凄く集中出来る一定のノイズの集積。
始まった途端集中力がMAXになるので、音楽というより、低周波肩もみ器のスマホアプリ版くらいのフィジカルさである。音楽を超えて、もはや集中のために便利ですらある。(洗脳されてるの、か? )
急に20年くらい前に1回だけ見たダムタイプという人達のパフォーマンスを思い出した。検索したら、実際ダムタイプの音楽担当者だった。
わたしがこの長い年月を超えて覚えてるくらいだから、やはりただのカッコ良いノイズ音楽では無いに違いない。
でもこの音楽は舞台で爆音で聴くより、美術館でオシャレでグラフィカルな映像と一緒にインスタレーションとして鑑賞するより、イヤフォン経由でスマホから聴くのが一番似合うとわたしは思う。







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# by hipoiho | 2018-02-09 22:46 | 鑑賞など

石を拾うという事


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日比谷図書館文化館で、若林奮が洞窟絵画を見るためにフランスに滞在した時の事をその時同行していた奥さんが話す講演会があるというので行ってきた。
色々面白かったが長くなるので書かない。
でも、この滞在がその後の制作の原点になった事は確からしい。(「若林奮ノート」という本に本人も色々詳しく書いてもいる。)

同時に本をテーマにした今の作家の展覧会もやっていて、これもよかった。(地味だけど、現代美術で久々のあたり。)
若林さんに関しては、フランスで拾った石とか、スケッチブック(全部のページをめくる映像があった)などが展示されていた。
 若林さんはマップケースに石を整列してしまっていたらしく、その棚ごと展示されていた。

石を拾うというのは、ものをつくる人間にとって、何かとっても根元的な事につながっている行為に違いないと再度確信した。

あと、エジプトについては若い時から晩年まで一貫してかなり憧れみたいなのがあったというのをはじめて知った。
エジプトで撮影した、犬が3匹川の向こうからこちらを見ている写真をすごく大事にしてたらしい。






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# by hipoiho | 2018-01-21 17:36 | 鑑賞など

生きているようなもの

多少、義務的に「北斎とジャポニズム」展を西洋美術館に見に行くが、意外に良かった。

西洋の美術やデザインへの影響は「左様でございますか」といった感じで多少、義務的に拝見したが、北斎の浮世絵もジャポニズムの絵や工芸品と一緒に展示されていて、しかも刷りの良いもののみが展示されていて、特にミネアポリス美術館とウィーン装飾博物館から来た風景や花の題材の大判錦絵が非常に美しかった。「風景は広重、花の絵は歌麿のがわたしは好きだな」とか思っていたが考えを改められた。
もちろん風とか水とかお化けとかの絵は北斎だと思う。

でも何でか分からないが、今回は北斎漫画の葉っぱのページに突如として感動した。

北斎の浮世絵の良いやつは、描かれている事物ひとつひとつの中に生きてる感がある。
それって、方法とか洋の東西とか時代とか、そういったものを突き抜けて普遍的な事だと思う。

森羅万象の面白さを見きって描ききろうとした北斎の普遍が紙の中で生きていて、それを偶然目にした色んな時代の色んな人の創造性を刺激するのだ。きっと。


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# by hipoiho | 2018-01-12 23:14 | 鑑賞など

バンコクナイツ

パリのギメ東洋美術館のインスタグラムをみてたら珍しく美術品ではなくチベット人ぽい男の人の写真が出ていて、「チベットの文化人かな」と思ってコメントを読んだら意外にも日本人のKatsuya Tomitaという映画監督だった。「Bangkok Nites」という作品をギメで上映中らしい。
気になったので調べてみたら、富田監督が属する「空族」という映画製作集団はDVD を出さない方針らしいので、映画館でやってる時じゃないと見られない事が判明。ところが、偶然にも企画上映で、その映画がちょうど今新宿で見られるとわかったので急いで見に行った。

映画「バンコクナイツ」は「娼婦・楽園・植民地」がテーマとの事。もちろんそのような内容ではあったが、どぎつい描写は無く、淡々とした等身大の表現で見やすい。あと音楽が良い。感覚的には現地に住み着いた友達のところに旅行に行って来たような3時間だった。旅の「よそ者でいる心地良さ」と「旅行なら良いけど住めないなあ」という居心地の悪さと、両方を思い出した。
「アジアの中の日本」ていうのは、字づらからして重要な事っぽいのに、あらゆるレベルでなぜかあんまりテーマとして取り上げられていないという事に気づいた。「世界の中の日本」は、大好きなのに。で、その「世界」とは往々にして西欧社会の事なのだ。
「アジアの中の日本」を無意識に避けるのは、掘り下げちゃうと、この映画のように居心地の悪い真実が見えて来ちゃうし、歴史や政治に否応無しに突き当たるので、何かしら態度を表明しなければいけないような、ちょっとしんどい事態になるからかもしれない。
ちなみに監督自身が主役をつとめていて、タイ人の出演者は全員役者さんじゃないらしいが、その「かたこと感」も心地良かった。(一番嫌な日本人役の人だけちゃんとした役者さんが演じていて、役ながら「本当に恥ずかしいヤツだ」と腹が立ったが、ああいう人、本当にいるんだろうなあ。)

とにかく、グローバリズムの中のアジアローカルを描ける日本人が出てきて、その映画が色んな国で見られるというのは、新しい流れであるには違いない。
映画の帰りに無性にタイ料理が食べたくなった。







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# by hipoiho | 2018-01-04 19:25 | 鑑賞など

次元が違うもの

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南方熊楠展を見に、久々に科博に行く。
南方曼荼羅とか十二支考の原稿の一段階前の「腹稿」と名付けられた紙を見ていると、思考の空間が普通の人よりも一次元多いような感じがする。
熊楠はイギリスから帰って来た後、日本では評価されなかったとの事だが、されなかったというより出来なかったという方が正確だろう。
ネーチャーに掲載された沢山の論文の題名を見ると、余りに守備範囲が広いので、「この人凄い」と分かっても、当時の社会の中にどう位置づけたら良いか困ったのではと思った。
おかげで、熊野の山に住む事になって、熊野の森は今の形をとどめられたわけだから、天命ってあるなあと思った。


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# by hipoiho | 2017-12-26 23:59 | 鑑賞など