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終わらない悪夢を生きる ― 「溺れるものと救われるもの」「これが人間か」「休戦」

『溺れるものと救われるもの』『これが人間か』『休戦』をたてつづけに読んだ。
冷めない悪夢のような読書で、どんな場所でも眠れると思っていた自分が、これらの本を読んでいる間は寝つきが悪くなった。

 どうしてこんな過酷な本に手を出したかといえば、お盆の終りに、NHKで『アウシュビッツ死者たちの告白』というドキュメンタリーを見たのがきっかけだった。番組は、「ゾンダーコマンダー」と言われるユダヤ人の特別部隊の残した大量のメモを最新技術で復元したという内容だった。
 ゾンダーコマンダーは、アウシュビッツに送られてきた同胞のユダヤ人たちの持ち物を取り上げ、裸にし、髪をそり、ガス室に入れ、大量虐殺が終わった後は、部屋から死体を運び出し、金歯を抜き、死体を燃やす作業をさせられていた。彼らは他の囚人と区別され十分な食事を与えられるが、他の囚人よりも短い期間で定期的に入れ替えられ、殺害される。彼らのうちの幾人かが、その作業内容や苦悩を大量のメモにしたため、瓶に入れてアウシュビッツ強制収容所のあちこちに分散して埋めておいたのだ。
 番組では短い時間だったこともあり、それほど詳しい内容ではなかったのでもう少し知りたくなった。で、検索しているうちに、プリーモ・レーヴィという作家がゾンダーコマンダーも含むアウシュビッツ強制収容所のヒエラルキーや人員構成、業務内容など事細かに記録しているらしいことを知った。
 しかも、以前その作家の『周期律』という小説を読んだことを思い出し、本のあとがきで、彼が終戦後40年以上も経ってから自殺したことを知ってギョッとしたことも思い出した。急にこうして思い出したのも何かの縁のように感じられて、『溺れるものと救われるもの』を読み始める事にした。
 
 作者のプリーモ・レーヴィはイタリア、トリノのユダヤ人で1943年12月24歳の時ににパルチザン部隊の一員として逮捕され、1944年2月アウシュビッツ強制収容所に送られた。翌1945年1月にアウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放され、レーヴィはソ連軍の捕虜として東欧の収容所を行ったり来たりしながら、10月にようやくイタリアに帰国できた。ともにアウシュビッツに送られた650人の中で生き残ったのは23人だけだった。

 『溺れるものと救われるもの』の冒頭には、強制収容所から生還したものたちの多くが、収容所の夜にひんぱんに見たという同じ悪夢が登場する。
 「家に帰って、ほっと安堵しながらも味わった苦しみを親しいものに熱心に語りかけるのだが、信じてもらえず、耳さえ傾けてもらえない。最も典型的な例では、相手が背を向けて、無言のまま出て行ってしまう。」というものだ。
 
 奇しくも、抑圧者の側もこの悪夢が現実になると予測していた。レーヴィは、ジーモン・ヴィンセンタールの『我らの中の殺人者』から、SS(ナチス親衛隊)の兵士たちが囚人たちに向かって冷笑的に放った言葉を引用している。
「この戦争がいかように終わろうとも、おまえたちとの闘いは我々の勝ちだ。生き延びて証言を持ち帰れるものはいないだろうし、万が一だれかが逃げ出しても、だれも言うことなど信じないだろう。おそらく疑惑が残り、論争が巻き起こり、歴史家の調査もなされるだろうが、証拠はないだろう。なぜなら我々はおまえたちとともに、証拠も抹消するからだ。そして何らかの証拠が残り、だれかが生き延びたとしても、おまえたちの言うことはあまりにも非道で信じられない、と人々は言うだろう。それは連合国側の大げさなプロバガンダだと言い、おまえたちのことは信じずに、すべてを否定する我々を信ずるだろう。ラーゲル(強制収容所)の歴史は我々の手で書かれるのだ。」
 
 実際、戦後間もなくアウシュビッツで行われていたことが徐々に明らかになっても、それが誇張のない事実であると大多数の人々が受け入れるまでには、時間を要した。レーヴィは、『これが人間か』を1947年10月に出版しているが、初版は1400部しか売れず、しばらくは塗料会社の研究開発が本業だった。10年後、世間にようやく第二次大戦を振り返る余裕ができたのか、1958年に出版された第二版以降は順調に売れつづけ、レーヴィは作家として生きていくことになる。

 レーヴィが、ラーゲルで起こった事を書き留めようと思いついたのは、ラーゲルにいながら昼はブナの合成ゴム工場の研究所で働いていた時だった。最初は、走り書きのメモだったが、ナチスはラーゲル内部の一切を極秘事項にしていたから、もしメモが見つかれば命が危ぶまれた。だから、構想だけは持ち続けていた。「「他人」に語りたい、「他人」に知らせたいというこの欲求は、解放の前も、解放の後も、生きるための必要事項をないがしろにさせんばかりに激しく、私たちの心の中で燃えていた。」レーヴィは、自分が経験する巡り合わせになった特異な体験を悪夢のように、自分の中だけに残らない様にすることが、万人に知らせることが重要だと思えたと、語っている。

 さらに最後の本となった『溺れるものと救われるもの』では、ラーゲルについて書き続けることを以下のように語っている。
「私たち生き残りは数が少ないだけでなく、異例の少数者なのだ。私たちは背信や能力や幸運によって、底にまで落ちなかったものたちである。底まで落ちたものは、メデューサの顔を見たものたちは、語ろうにも戻って来られなかったか、戻っても口を閉ざしていた。」「溺れたものたちについては、もし紙とペンを持っていたとしても、何も書かなかっただろう。なぜなら彼らの死は、肉体的な死よりも前に始まっていたからだ。 ー中略ー だから私たちが彼らの代わりに、代理として話すのだ。私たちがそうしたのは、そして今もそうしているのは、口をふさがれたものたちへの道徳的な義務のためなのか、あるいは彼らの思い出から解放されるためなのか、はっきりと言うことはできない。確かなのは私たちがそれを強固な、永続的な衝動に駆られてしているということだ。」
 『溺れるものと救われるもの』の「恥辱」の章には、レーヴィの奇跡的な生還の理由について、友人の言葉が出てくる。
 独自の厳格な宗教を持つその友人は、レーヴィの生還の理由を「神の摂理」だと言い、レーヴィは「神に救われたもの」であり、神がなぜレーヴィを選んだのかはわからないが、恐らく証言を持ち帰ったからだと言った。「君は1946年に監禁生活についての本を書いたではないか。」
 レーヴィは無神論者であり、ラーゲルの日々を経てその考えは揺るぎのないものになっていたから、友人のその言葉に、むき出しの神経を触られたような痛みを感じた。
「私は、他人の代わりに生きているのかもしれない、他人を犠牲にして。私は他人の地位を奪ったかもしれない、つまり実際には殺したのかもしれない。」という疑問がよみがえった。


 

 『溺れるものと救われるもの』の中心テーマには、構想の段階から「灰色の領域」の章があったらしい。レーヴィは『これが人間か』を読んだ若い読者が、「迫害者」と「犠牲者」、「怪物」と「無垢」、「彼ら」と「我々」というように人間が二種類に分類されると考えがちであることに懸念を抱いていた。現実には、抑圧する側もされる側も、ほとんどがごく普通の人たちで、何かの拍子で抑圧される側が抑圧する側に簡単に入れ替わるからだ。
 ナチスの体制では、奴隷たちに実質的な命令を下す汚れ仕事は、刑事犯や政治犯、敵の捕虜など主にユダヤ人以外の囚人たちが担った。これが「灰色の領域」である。「灰色の領域」には大小様々な「特権」があり、それにより、抑圧する側、される側といった単純な二分化を不可能にして、抑圧される囚人たちの中にさらに複雑なヒエラルキーを形成していた。最下層の囚人たちの日々の労働や日常を管理するカポーと言われる職員や、ラーゲルの治安部隊たち、私がNHKの番組で知ったゾンダーコマンダーも「灰色の領域」である。このシステムでは、ナチスの兵士は直接手を下さいないので余計な罪悪感を抱かずにすむし、囚人がさらに弱い立場の囚人を虐待するので、囚人同士の横の結束力が生まれにくく、反乱が起きにくいというメリットもあった。
 ラーゲルの中で「特権」を持つ者は少数だったが、ラーゲルから生き残った者の多くは、「特権」を持った者たちだった。レーヴィは最下層の囚人であり、他のものを虐待するようなことはなかったが、化学の知識があったので、途中からブナの合成ゴム工場の研究所で働くことが出来た。そして、それもある種の「特権」だった。少なくとも、他の囚人が命を削る過酷な屋外の肉体労働をしている間、室内の実験室で働けたのだから、それも生き延びられた要因であったに違いない。しかしこのことが後に「他のものの代わりに生き延びた」という罪悪感にもつながっていくのかもしれない。「「灰色の領域」のものたちを裁ける人間の法廷を私は知らない。」と、レーヴィは言う。
 



 『溺れるものと救われるもの』、『これが人間か』の2冊を読んでみて、改めて認識したのは、ナチスのラーゲルが、奴隷を使った産業構造として考え抜かれたシステムであり、単なる一狂人の妄想から生まれたデストピアで済ませられないという事実である。
 以下は、『これが人間か』の1973年に学生版向けに書かれた序文の文章である。
「この本が書かれた1946年当時ラーゲルで起きたことはまだほとんど何も知られていなかった。たとえば、アウシュビッツだけで、何百万人もの男、女、子供が周到に練り上げられた科学的方法で虐殺され、衣服や財産だけでなく、骨や歯や髪の毛まで「利用された」ことが知られていなかった(収容所解放の際、七トンの髪の毛が見つかった)。また強制収容所体制全体の犠牲者が九百万から一千万人にのぼることも知られていなかった。とりわけ、ナチスドイツと全被占領国が一つのおぞましい奴隷収容所網を作っていたことは知られていなかった。当時のヨーロッパの地図を見ると目まいが起きる。本来の意味でのラーゲルが(つまりこの本で語られる死の窓口のことだ)、ドイツだけで数百あり、それ以外に別の種類の収容所が何千もあったのだ。 -中略ー シャイラーの計算によると(『第3帝国の興亡』による)、1944年当時ドイツの強制労働者は少なくとも九百万人はいた、とのことだ。
 この本からは、ドイツの重工業とラーゲルの管理機構がいかに密接な関係を保っていたか、読み取れることだろう。ブナの巨大な施設がアウシュビッツ地区に拠を定めたのは決して偶然ではなかった。これは奴隷経済への逆行であると同時に、計画的かつ賢明な経済政策でもあったのだ。もちろん大工場と奴隷収容所の共存が好都合だったからだ。
 したがって収容所体制を取るに足らない末梢的現象と考えてはならない。ドイツの軍事産業は収容所体制の上に築かれていた。収容所体制こそがファシズムにおおわれたヨーロッパを支えた基本制度であった。」


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 たしかにドイツ人は、ラーゲルの中で何が起こっていたのか知らなかった。ゲシュタポの職員ですらラーゲルで何がなされていたのかほとんど知らなかった。だが、ユダヤ人がラーゲルに連行されていたことは多くの人が知っていたし、多くの企業が強制労働による労働力を使って利益を得ていたし、ガス室の製造建設業者、毒ガスの供給業者はこれまでにない受注量に気づかなかったわけがあるだろうか。「つまり、情報を得る可能性がいくつもあったのに、それでも大多数のドイツ人は知らなかった、それは知りたくなかったから、無知のままでいたいと望んだからだ。」
 恐ろしいのは、当時最も民主的と言われたワイマール憲法を掲げたワイマール共和国で、ヒトラー独裁政権までのプロセスが、法の盲点をついたものであれ、曲がりなりにも合法的に進められたということだ。

 「個人にせよ、集団にせよ、多くの人が、多少なりとも意識的に、「外国人はすべて敵だ」と思いこんでしまう場合がある。この種の思いこみは、大体心の底に潜在的な伝染病としてひそんでいる。もちろんこれは理性的な考えではないから、突発的でちぐはぐな行動にしか現れない。だがいったんこの思いこみが姿を現わし、今まで陰に隠れていた独断が三段論法になり、外国人はすべて殺さねばならないという結論が導き出されると、その行きつく先にはラーゲルが姿を現わす。つまりこのラーゲルとは、ある世界観の論理的展開の帰結なのだ。だからその世界観が生き残る限り、帰結としてのラーゲルは、私たちをおびやかし続ける。」
 これは、今岐路に立っている私たちの世界へのレーヴィからのメッセージのようにも感じられる。




 3冊の中でも『これが人間か』は、あっという間に読み終わった。地獄のような内容だったから早く読み終わりたいというのもあったし、ラーゲルの中での人々の会話や人間模様、生き残るための知恵などがとてもなまなましく、レーヴィが万人に知らせたいと願い、心の中で燃えていたその炎が、読むものにも燃えうつるのだと思った。
 例えば、アウシュビッツ送りになったユダヤ人はヨーロッパの様々な国から来ていて、レーヴィのようなイタリア人は非常に珍しく、ラーゲルの公用語であるドイツ語もポーランド語もイディッシュ語も話せないと生き残る確率が極端に減ったこと。腕に入れられる入れ墨の番号でどこの国から来たか、古参か新参者かが分かり、古参は長く生き残っているということで尊敬されたこと。
 アウシュビッツに到着すると着ていたものも持ち物もすべて没収され、靴はあえて、歩きにくい木靴を配給され、その靴の良し悪しによって生きながらえる長さが変わること。これは足を負傷することが死につながるからだ。
 また、食事にスープが出るのにスプーンは供給されないこと。すると動物のようにすすらなければならない。ラーゲルは人間を動物にする巨大な機械で、意識的に自由を奪い虐待を与えることで、囚人たちの命令に反抗する気持ちを折り、自分が家畜同様の奴隷であると刷り込まれるのだ。
 そんな中でも囚人たちの間では物々交換が行われていて、例えば、配給されるパン3食分とスプーンと交換したりできる。どんなささいな物でも工夫すれば使えるし、物々交換できる。だから紙一枚、針金一本でも手に入れることは、1日の命を伸ばすことにつながる。
 などなどの知恵。

 それから、この本の最後の章の『十日間の物語』は、アウシュビッツからドイツ軍が撤退した後の話であるにも関わらず、そこに取り残された混沌とした地獄の様相がすさまじすぎて、もはや実話の想像力の範疇を超えた世界のように感じてしまった。
 「私たちは死者と亡霊の世界に横になっていた。文明の最後の痕跡も、周囲の心の中から消えてしまった。勝ち誇るドイツ人の手で始められた野獣化の作業は、敗れたドイツ人によって完成された。人を殺すのは人間だし、不正を行い、それに屈するのも人間だ。だが抑制がすべてなくなって、死体と寝床をともにしているものはもはや人間ではない。」ドイツ軍撤退後、アウシュビッツに残されたのは病人など動けなくなり死を待つものたちだけだった。レーヴィも撤退まえに猩紅熱にかかり「伝染病室」に横たわっていた。動けなくなった者たちの病棟の床には排泄物が積み上がり、次々に亡くなっていく病人の死体を始末するものはいない。ベッドの中身はほとんど死体で、凄まじい腐臭の世界だったに違いない。
 そんな中でレーヴィたちのいた「伝染病室」は10日間なんとか人間らしい暮らしを維持して、1名以外は生き残ることが出来、亡くなった一人を埋葬しているときに、ソ連軍がやってきて物語は終わるのである。 

 『これが人間か』に書かれている、ラーゲルの中で行われていた徹底した人間性の破壊や、その中でもわずかに自身が人間だと思い出すエピソード、例えば、塀の外の民間人のロレンツォや、ダンテの神曲の「地獄篇」をピコロに語りながら自分たちの話だと思ったこと、など、省ける内容など一つもないのだが、それらについてはとにかく直接、本を読んでほしいと思うのだ。



 
 『休戦』は、『これが人間か』を読み終わった直後に急いで本屋に行って買った。この本の紹介文には、「いかにして一度失った生を新たに獲得していくのか」と書いてあったし、最後はなにかしら救いの兆しが見える終わり方で一連の読書に区切りをつけたかったのだ。『休戦』は、『これが人間か』の最後のところから物語が始まり、レーヴィがソ連の捕虜となりソ連軍の場当たり的な方針転換によって過酷な環境の中を右往左往しながら故郷イタリアへの道のりを生き延びて帰る姿が描かれている。旅は非常に過酷で、ややもすると死と隣合わせであったが、『これが人間か』と比較すれば、厳しい自然の中で生き残るための冒険の連続と様々な人々との出合い、といった感じで、私はこのあとどのような家族との再会が待っているのだろうかと、無邪気に読み進めた。
 しかし、家族との再会についてはほとんど書かれていなかったうえに、物語の最後のページは予想に反して非常に暗いものだった。一度でも人間性を奪われた者の傷は決して癒えないし、痛みは変わらぬ痛さで生きている限り常によみがえるのかもしれない。物語は帰還後にひんぱんに見た悪夢で終わっている。

 レーヴィは夢の中で家族と団らんしたり、緑の中でくつろいだりしているのだが、かすかに不安を感じている、するとその不安が急に大きくなり平和な背景は消え失せ自分が「濁った灰色の無の中にただ一人でいることに気づく。」「わたしはまたラーゲルにいて、ラーゲル以外は何ものも真実ではないのだ。」そして、よく知っている声が響く。外国の言葉「フスターヴァチ」、さあ起きるのだというラーゲルの起床の号令である。

 レーヴィはこの「フスターヴァチ」のところに注を付けている。
「夢の中でラーゲルは宇宙的意味に拡大し、人間の生存状況の象徴になっている(「ラーゲル以外は何ものも真実ではない」)。そして誰も逃れることができない死と同一視されている。だがそれには容赦が、「休戦」が存在する。それは収容所では夜の不安な眠りだ。そしてさらに人生も猶予であり、休戦である。しかしそれは短い休憩時間で、すぐに「朝の命令」で中断されてしまう。みながその朝の命令を予期し、恐れている。それは外国語の命令だが(「フスターヴァチ」とはポーランド語で「起床」の意味)、みな理解し、従う。この声は死への命令、誘いであり、静かに発せられる。なぜなら死は人生に登録済みで、人間の運命に暗礁のうちに組み込まれており、避け難く、反抗は不可能だからだ。同じようにアウシュヴィッツの凍てつく夜明けに、起床の命令に逆らおうとするものはいなかった。」
 私は、この注でレーヴィが語った死生観が、自死する1987年までずっとつきまとっていたのではないかと思う。
 
 戦争の世紀だった20世紀を経て、人間は集団で思考停止に陥れば、自らを破壊するような、どんな残虐な行為でも躊躇なく行ってしまう生き物だということを学んだはずであり、レーヴィはその証言者としてあり続けるために決して自分の傷をふさごうとしなかったように思える。レーヴィは生涯アウシュヴィッツで腕に彫られた番号の入れ墨を消すことはなかったし、その番号は彼の墓石に今も刻まれている。レーヴィの証言がどれほどの苦しみと次の世代の人間への願い(とあえて書きたい)を伴って私たちの前に開かれているのかを思うとき、やはり多くの人に読んで欲しいと思うのだ。














# by hipoiho | 2020-08-30 22:29 |

もつれるものたち

 今日、久々に展覧会を見た。
 去年から期待していたオラファーエリアソン展目当てで現代美術館に行ったが、同時開催で全く期待してなかった「もつれるものたち」展の方が凄く面白かった。

 どの作品も良かったが、特にリウ・チュアンという北京在住のアーティストの「Bitcoin Mining and Field Recordings of Ethnic Minorities」という映像作品は、中国のアーティストだからこその、今日の世界の掴み方をした作品だと思った。スケールは大きく、味わいはクールかつ詩的で繊細だった。

 ひたすらスマホをいじくることは、日夜インフラを整備する無意識の労働に他ならず、少数民族が暮らす中国の奥地の打ち捨てられた水力発電所が、今ではビットコイン採掘(マイニング)に再利用されている。そんな物語が3面分割された横長の画面に映し出される。
 初めて「ビットコイン採掘」って言葉を知ったのだが、この採掘(マイニング)とは、仮想通貨の取 引承認に必要となる複雑な計算(コンピューター演算)作業に協力し、その成功報酬として新規に発行された仮想通貨を得ることらしい。世界中に日夜膨大な計算を行う採掘者がおり、中央集権化しない貨幣価値が保たれ生まれると言う。

 それから、映像は連想の間を自由に飛躍していく。権力を誇示するために、これまでに聞いた事の無いような重低音が響く銅鐸を造ろうとして、銅の含有量を下げた銅銭を発行しインフレを起こしたのち、滅んだ周の、その銅鐸の重低音と、広島に落ちた原爆の重低音と、その後戦争よりもインフラの構築のために使われて来た爆発物の重低音とビットコイン採掘に使われる無数のcpuの重低音が次々に連想されるシーン。
 デジタル化による人の感覚の変化も物語られる。少数民族をデジタル化させるために作られた、DVDとステレオとモニターとwifiとBluetoothとそれから沢山のライトが一体化したマシーンが登場するのだが、そのマシーンから80年代テクノみたいのが流れ出ると、そのビートに合わせてネオンサインみたいなカラフルな光が点滅する。これにより、100年を要した感覚のデジタル化が数年間で成し遂げられたと言う。
 途中「惑星ソラリス」まで出てきて、中国のアーティストが引用する旧ソ連映画ってなんかフランス人とが引用するより重いと感じた。エンドロールには中国の少数民族の肖像とスターウォーズのアミダラのバストショットが重ね合わせられるのだが、スターウォーズも他の国の作家が引用するより何だか格段に重く感じるのは気のせいか…。
 2018年の作品のようだが、リアルタイムな作品に久々に会えた気がした。


 ピオ・アバドというフィリピン出身の作家の「ジェーン・ライアンとウィリアム・サンダースのコレクション」という作品もこれまた凄く面白い作品だった。
 作品の概略は、「第10代フィリピン共和国大統領フェルディナンド・マルコスとその妻イメルダが所有し、後に政府に差し押さえられたオールドマスター絵画を複製した98組のポストカードからなる。カードの裏面にはマルコス政権の汚職の規模や美術界や世界に存在する彼らの巨大なネットワークをほのめかす記事が引用されている。作品タイトルは夫妻がスイス銀行の口座名に使っていた偽名を暴いている。鑑賞者はポストカードを持ち帰ることができるがそれは人々への返還を象徴するものである。」との事。
 葉書裏を読むと、マルコス夫妻のコレクションには、ベリーニ、エル・グレコ、ルーベンス、ゴヤ、ラトゥール…等々があったらしい事や、アキノ政権は、マルコスとその取り巻きの資産を全て差し押さえたら銀行が破綻するという理由で、それ以上捜査を進めることが出来なかった事、さらに、CIAも日本政府もイギリス政府もマルコス政権の汚職に関する情報開示を拒否した事などが連綿と綴られていた。
 何だかガルシア・マルケスの「族長の秋」を読んだみたいな読後感に襲われた。

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ピオ・アバドの作品
手前はマルコス元大統領夫妻が持っていた泰西名画の葉書を使った作品で、奥はチャウセスクが死ぬ前数日を過ごした部屋のレースのカーテンをモチーフの一つに使った作品


 その他の作品もどれも面白かったが、日本の作家3名の作品もどれも良かった。
 藤井光の「解剖学教室」は、福島第一原発の近くの資料館に展示されて「ものたち」の記録と、その「ものたち」のこの先、資料館のこの先をパリ国立高等美術学校の解剖学教室で議論した記録映像と、実際今も避難している「ものたち」の実物の展示だった。それらは、放射線量が書き込まれた書類が添付され、梱包されたままそこに置かれていた。
 ある町の生活や歴史を語っていた「ものたち」が、福島第一原発事故を語る「ものたち」に1日にして変質してしまう事実をまざまざと観賞させられた気がした。資料館の「この先」は、福島第一原発事故を経験したわたしたちの「この先」でもあると気づく。

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岩間朝子の「ピノッキオ」という作品
第二次世界大戦末期に日本軍が松の樹脂を航空燃料にしようと試みた事実から、ドイツ、フランスでの利用法、やそれに関わる人達の観察、道教の松仙人や、丸太が子供に変わるピノッキオの話など(ピノッキオのpinoは松って意味らしい)を題材にしている。

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磯部行久の大阪湾と六甲山のエコロジカルマッピング 
これは、防災計画策定に調査で国土庁に発注されたものとの事。傾斜ごとのマッピングや鉱物・地層ごとのマッピングなど一つの場所を様々なレイヤーに分解した地図が手書きで記されていた。


 総じてオラファー・エリアソン展みたいに「映える」こともなく、素敵なグッズも図録さえも一切無い展覧会ではあったが、個々のアーティストが一つの事物を入り口として、自分を取り巻く今の社会(の深層にある歴史も含めて)…世界をそれぞれの方法で見つめ、探り、見えるかたちに変えて提示する。美術という方法を通じて、シンプルに見る者にこれからを問うからこそ面白い展覧会だった。 
 ちなみに、KADISTというパリとサンフランシスコに拠点を持った組織が現代美術館と共催している。海外の展覧会みたいな雰囲気はそのせいかも。














































# by hipoiho | 2020-08-09 19:27 | 鑑賞など

石垣再び

明日からまた石垣島に行くことになった。

振り返れば、今年は1月からずっと移動していて、もうすぐ8月になってしまう。

太宰府→奈良→カンボジア→大阪→三輪→熱海→那須→小淵沢→旭川→トマム→石垣→小浜島→西表島→三沢→十和田→富士吉田→トマム…
みたいな順番で行った。
(ちなみに遊びで行ったのはカンボジアだけで、あとは弾丸出張である)

今年は八方塞がりの年廻りだが、どちらかというと家に戻れないという変化球な八方塞がり具合で、自分が無意識レベルで捻くれているという事を改めて思い知らされた気がする。

まあ、2月以降、仕事か、寝るか、動画配信見るしかしていなく、友達に誰とも直接会っていなく、美術館にも行ってないので、どこに行こうが塞がっている事には違いないのだけれけど。

遊べずとも移動は好きなのでそれだけでも幸運である。
ここまできたら、しばらく塞がりを楽しめるよう精進しようと思う。

6月末に行った石垣島
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# by hipoiho | 2020-07-29 18:20 | 日々

新しい生活様式

この3ヵ月間、世間とは逆行して、日に日に忙しくなり、一昨日とうとうもう限界だなと自分でも気付いた。

何に限界かと言えば、この3ヵ月というもの、四六時中誰かと仕事の話しているか、仕事してるか、寝ているかだけで、自分一人で落ち着く時間が1日10分も無かったのだ。

そろそろ、出来る事と、やるべき事、やらなくていい事を選別しようと思う。

今、世の中が大きく変化していることは確かだが、その事について何事もなかったように思いたい人たちか、
新しい答えを求めて、ひたすら話し合いたい人たちか、どちらかのパターンが多い。
だけど、どっちも余り参考にならない。
それもこの3ヵ月で気付いた事である。

今、起こっている変化を丹念に観察しつつ日々を淡々と送っていけている人たちが、次の世の中を作ってゆくのだろう。
自分もそういう時間を持てるようにしたい。







# by hipoiho | 2020-06-06 21:42 | 日々

八方塞がり

働いても働いても仕事が終わらず。

と思っていたら、マッサージにも温泉にも南インドカレー屋にも美術館にも行けなくなってしまった…。

当分、髪も切れない。

画材屋も明日までで、明後日から連休明けまで開かない。

たしか今年は八方塞がりの年だったが、今更おはらいに行っても、きっと神社が閉まっていることだろう。









# by hipoiho | 2020-04-08 09:10 | 日々